神戸きょうだい会

メッセージ

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きょうだい(悦子)のつぶやき

昭和24年 5月  悦子・長田にて誕生
昭和25年11月  和子・長田にて誕生(以後ずっと長田居住)


小さいころ

物心ついたころ、覚えているのは,母と一緒に歩く練習をしていた,妹の姿。
ある時は,高取山まで,私もいっしょに行きました。

妹が幼稚園の時おたふく風にかかりました。
当時ほっぺがふっくらしていたので,なおって幼稚園に行っても,まだふくれているといわれました(笑)

小学校は2年遅れで,私と同じ池田小学校に入学しました。
ある日、妹が気になって休み時間に,教室にのぞきに行きました。
するとみんな、校庭に遊びに行っているのに、妹だけ,ぽつんと椅子に寂しそうに座っていました。
その光景は,いまでも忘れられません。

家に帰って,母にそのことを報告しました。
そして,それだけの理由ではないと思いますが,2年生から,少し離れた室内小学校特殊学級に転校。
そこで,現在「誕生日ありがとう運動」をされている,藤本隆先生と出会いました。

私が4年生の時、妹は阪大病院に検査入院しました。母も一緒でした。
私は,初めて一人で電車に乗って、会いに行ったのを覚えています。
電車に乗っている人みんなが,誘拐犯のように見えました。

その時,妹は,脊髄液をとるため,大人用のはりを背中からさされました。
当時子供用がないからと言われました。
そのあまりの痛さによって,その後恐怖心が残り、学校では一切話さなくなりました。
養護学校高等部を卒業するまで、学校の先生は,妹の声を聞いたことがありません。

家では,話していました。
妹は時として,言葉を間違って言いました。
やかましい→ばかましい

それは最近でもあります。
バンドール→ダンボール

母は,妹の世話で,大変だったようで,そのころの私は「お父さん子」でした。
お父さんと一緒に「いっぱい飲み屋?」や,「パチンコ」に行っていました。
時には、神社の夜店で,パチンコや,輪投げも父と一緒にしたのを覚えています。

多分,母を妹にとられて、寂しかったのでしょう。
暗い部屋で隠れていて,妹が来てびっくりするのを喜んでいたこともありました。


中学時代

中学1年のクリスマス。我が家に15人くらい集まって、クリスマス会をしました。
母は、私の友達が来ると、妹を同じ部屋に入らせます。
私も仕方ないので、いっしょにいます。
クリスマス会もそうでした。
くじ引きで、たまたま初恋の人が、私の横に座りました。
なぜか妹はその間に座らされていました。

その後、仲の良い女の子2人が、我が家に来るよう誘いました。
一人の子は、「妹」がいるからいやだと言って、来ませんでした。
もう一人の子は、遊びに来てくれました。
その上、自分の家にも、妹を誘ってくれて、遊びに行ったこともあります。
その人とは今でも友達です。


2010年の頃の妹

間のことは、まだまだありますが、それはぼつぼつ書くとして、今の妹のことを書きます。

86歳の父と2人で暮らしています。
実家は、震災で、全壊だったので我が家からも歩いて5分くらいの災害復興住宅に住んでいます。

現在週3回「ライフデイケア」2回「ウイングコウベ」に行っています。

「ケアホーム・えほん」の生活も楽しんでいます。

小さい頃あんなに話さなかった妹ですが、今は信じられないくらいよく話しをします。

ハーバーのコムサストアに週数回行っています。
妹は、年はとっても気持ちは若く、「キンキ・キッズの、光一君」のファンです。
又歌番組、トレンディードラマは、好みの若い人がたくさん出ているので、必死で(笑)観ています。

2020年12月現在の妹
2019年5月父が95歳で亡くなりました。
それ以降は、我が家に3日、ケアホームに4日という感じで生活しています。

コムサは、今も大好きで、今も好きな店員さんがいます。

妹

学院大の大学生の方が、実習に来られていて、それ以来学祭や、学食等に遊びに行っています。


妹

ボーリングが好きで、ヘルパーさんと出かけています。


妹

コムサストアが大好きで、いつも全身コムサモードできめています。


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